絵本「かわいそうなぞう」の真実に迫る|涙なくして読めない絵本だけど・・・

先日図書館で借りてきた絵本「かわいそうなぞう」
本当に可哀想な像でした。
3歳の息子には少し早かたのですが、彼なりに何かを感じている様子がありました。人間の身勝手さが生んだ悲劇だな・・・っと感じ、涙しながら読み聞かせしました。
■あらすじ
第二次世界大戦が激しくなった頃。東京市にある上野動物園では空襲で檻が破壊された際の猛獣逃亡を視野に入れ、殺処分が決定されました。
ライオンや熊が殺され、残すは象のジョン、トンキー、ワンリーだけになります。
象に毒の入ったジャガイモを与えるのですが、象たちは毒入りの餌がわかるようで吐き出してしまいます。毒餌を食べないなら・・・っと、毒を注射しようと試みるのですが、象の硬い皮膚に針が折れて注射も出来ません。
最終手段として、餌や水を与えるのをやめ餓死するのを待つことになりなます。
象たちは餌をもらうために必死に人間が喜ぶ芸をしたりするが、ジョン、ワンリー、トンキーの順に餓死していく・・・っといったお話です。
■かわいそうなぞうの本当のメッセージとは?
読んでいて“可哀想”っていう感情でイッパイでした。
でも、何回か読むにつれて、疑問が出てきました。
『この絵本は、何が言いたいのかな?』っと。
この本は戦後からずっと、平和教材として注目を浴びてきたそうです。1974年~1986年まで、小学2年生の国語の教科書にも使用されていたそうです。
一見、戦争の悲惨さや残酷さ、2度と繰り返してはいけない過ちを伝えてくれているように感じます。
でも1番は、人間の身勝手さを伝えたかったのかな・・・っと感じました。
絵本の文章をそのままの意味で解釈すると、3頭のゾウの扱いには大きな差があり過ぎます。1番最初に殺されたジョンっという像は、暴れん坊で言うことを聞かなかったから選ばれました。
残ったトンキーとワンリーは、可愛い目をしている心の優しい像だったそうです。
だから動物園の飼育員達は、殺したくなく、生かしておける方法を考えたそうです。餓死していく姿に耐え切れず、途中エサもあげてしまったそうです。死んだゾウ達に泣きすがったそうです。
他の猛獣達や最初に殺されたジョンの時には、そんな言葉、全く記されていませんでした。
つまりは、人間に反発したり、逆らったりしなきゃ運命は可愛がってもらえる・・・情をかけてもらえるって事ですよね。。。
教科書にまでなったこのお話ですが、子供に質問されたら、どうするのかしら?結局、この絵本は本当は何を言いたいのかな?
っと、気になって仕方ない私でありました。
■真実は隠れたところにある
そんな中、1つのサイトに真実に辿りつくヒントがありました。
まず、ジョンについて。
原因は不明のようですが、当時ジョンは次第に凶暴になりつつあり、園で手を焼いていた背景があったようです。そのため、東京都長官による虐殺命令が出される前の段階で既にジョンの「処分」を決め、エサを止めていたそうです。
オスのインドゾウ「ジョン」は次第に凶暴となっていて,当時すでに,前肢をペレーと称する短い鎖で行動の自由が制限されていたぐらいである。空襲時にそなえて早目に処分することが検討されていたのである。しかし銃殺では附近の住民に不安をまねくおそれがあることから毒殺が計画され,8月13日から,ゾウのオスジョンの絶食がはじめられている。
処置しなければならない動物のうちに、象が三頭いることに、私は全く途方にくれてしまいました。このうち一頭の牡象は、性質も狂暴なので、この象だけは、こうした事情のもとでは、なんとかしなければならないと思い、こんな問題の起らないうちに、私の方から上司に処置を申し出て、許可を得ていた位なのでしたが、他の二頭の象は、どうしても生かしておきたかったのです。
とりわけ、トンキーは三頭のうち、最も身体も小さく、性質もおとなしく、芸をよくしたので、これだけはどうしても思い切れないのでした。
飼育していた側の感情としては、普通の感情の流れなのかもしれません。でも人間の身勝手で動物園に閉じ込められていたジョンにしてみれば、やっぱり酷い話ですよね。
■ほかの猛獣たちもかわいそう
絵本の中では「らいおんも、とらも、ひょうも、くまもだいじゃも、どくやくをのませて、ころしたのです」っと簡単に書かれています。
ですが、長い苦しみの上で餓死していったゾウたちはもちろんかわいそうですが、他の猛獣たちも虐殺の犠牲となったのは同じでした。
ところで、動物たちは、薬によって殺されたものばかりではなかった。いや、むしろ薬だけで死んだものは割合に少なく、多くは、なかなか毒物を食べようとしなかったり、意外に薬の量が少なすぎたり(何しろ未経験のことで、しかも明確な体重を測定できない猛獣たちなので、致死量は、あくまで推定によるしか方法がなかった)で、容易に死にきれなかった。それで、他のいろいろな方法で、殺さざるを得なかった。このことは、あまりにむごいことでもあるので今日まで、実は発表しなかったのだが、この本に、初めて明らかにする。
(略)
◇ニシキヘビ
生きているヤギ、ニワトリなどを常食としているので、餌に毒物を入れて与えることは不可能のため、絞殺することにした。
まず、頭部に細紐を巻き(檻の鉄柵の間から入れて巻きつけようとしてもいやがって、首を動かすので容易には巻きつかなかった)、数人で引張ったら、柵のところまできた。そこで、解剖刀で頸礎部を切断した。十分後に呼吸が止まったが、その間首を切られたのに、長く太い胴体は、ドジョウのように、くねくねと動きまわっていた。その後すぐ、心臓部を摘出し、解剖台の上に置いたが、その後一時間半鼓動をつづけていた。
◇ニホングマ
三日間絶食させたが、少しも疲労したようすがない。八月二十一日夕刻、寝ているところを、首にロープを巻こうとしたが、なかなかできず、三十分以上苦心の末、やっと巻きつき、数人で引張って、窒息死させた。その間、十五分。
◇クロヒョウ
先端がワイヤーロープになっている長さ三メートル余りの棒のついたひっくくりわなで、首をしめ、四分三十秒で絶命。
(略)
◇ライオン雌(エチオピヤ産)
十六日絶食、十七日半減、十八日半減、十九日から連日絶食の後、八月二十二日午後六時五分硝スト三グラムをウマの肉に入れて与える。にがいのかすぐ吐き出す。さらに十二グラムを分与したが全然食べず。全量の半分は肉とともにのみこんだと思われる頃、四十分に、第一回筋肉強直収縮の発作がおこり、四十二分転倒、四肢をふるわせて苦悶、四十五分再び発作三分間の後、起き上がる反射機能なく興奮する。五十八分、第二回強直発作あり、呼吸促進転倒、けいれん発作、苦悶甚だしかったので、七時三十三分、心臓部を槍で刺す。三十五分第二回穿刺、四十分反射機能停止、麻痺をおこし始め刺激に応ぜず、末梢神経麻痺、四十二分瞳孔散大、呼吸停止、絶命する。所要時間一時間三十七分。
■動物園の人たちも辛かった
動物達を苦しめたのは、人間の身勝手さ。
でもやっぱり、そんな動物達と同じくらい辛かったのは、飼育していた方達でした。
夜、床に入っても眠れない日が幾月もつづきました。突然ライオンに襲われたり、豹がなれなれしくそばに寄ってきて、はっと驚いて目をさますこともあったのです。
眠られぬ夜は、なかなか死ねなかったライオンの牝を思いだしてなりませんでした。
このカテリナは性質もおとなしく、よくなついていました。子供を多く生み、また育てることも、とても上手でした。(略)
死んだマレー熊は、小さい時から動物園で飼われていました。はじめは、首に鎖をつけて歩いたのでした。牛乳の壜を渡すと、立って前足で壜をおさえて飲むのです。
(略)
いっそ、ひどい空襲でもあって、動物たちは勿論、私達も共に死んでしまった方が、どんなに幸福かと、その頃は本当に考えたものでした。
毎日々々、楽しんで二十数年通った動物園に、かわいい動物たちを殺すために通わねばならないとは……、毎朝きまった時間に家を出る私の足は、重かったのでした。
都長官に提出した次の表には、毒殺ということにしてあったので、どの猛獣も容易に薬をのんだような印象を受けるが、実際はそんなものではなかった。猛獣を殺しはじめてからは、就職以来、一日もかかさなかった園内の巡回を、あまりしなくなった。一ヵ月たらずの間に八キロ近く体重が減った。私ばかりでなく、当時動物園にいた者はみなそうだった。自分の係の動物が殺される当日、欠勤してしまう人もいた。眠っていても、動物たちが夢に出てきて熟睡できない日がつづいた。二十五年経った今日でも、二十七頭の“あいつたち”のことは、決して忘れてはいない。
参考文献:http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/05/28/213935
絵本からだけでは理解しきれなかった部分が沢山見えてきました。何も経験していない私なんかが色々と語ってはいけないな・・・っと感じました。
でも、1つ言えるのは、やっぱり戦争は2度とあってはいけないっということ。人間の身勝手で、動物達をこれ以上苦しめることがあってはならない。
戦争はダメ。
戦争は無意味。
それを子供達に伝えていくことって、とても大切ですよね。
かわいそうなぞう [ 土家由岐雄 ]
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