子供の汚い言葉の新事実|親に見えているのは子どもの一部分だけ

先日、息子が下品な言葉を連呼してどうしよう・・・っとブログを書いたのですが、前言撤回~。
基本的に息子の自由にさせてあげようと思います。
私が見ていた部分って、ほんの一部分・・・息子の表面の部分だったことを実感しました。
ちゃんと理解していた
保育園の先生と立ち話をしていたときのこと。
目の前で“ウ○チ~”っと騒いでいる園児を見て
「最近ウチの息子も下品な言葉酷くないですか~?そういう時期なんですかね~?」っと聞いてみました。
すると、意外な言葉が返ってきました。
「え~!保育園では、全然言いませんよ!他のお友達で泥でウ○チを作って遊んでいても、混ざろうとしないですし~」っと、逆に先生が驚いていました。
私は、ハッとしました。
そうだった。
息子は、そういう子だった。
本当はやりたいこと、言いたいことも、それがダメなこととわかると、外では決してしない子・・・できない子なのでした。
正義感が強い。
真面目。
優しい。
プラスの言葉で表現をするなら、そんな言葉が似合う子。
でも本当は、他の子と同じように言いたいんですよね。
だから母のソバでは、保育園では決して見せない姿や言葉になる。
彼は、そうやってバランスをとっているんだと思います。
少し前までの私は、自分の育て方が悪いのかと悩んでいたが、これが彼の性格なのだと理解できるように母も成長してきた。
問題は、そんな彼の性格を忘れて、世間一般の常識に当てはめて考えて、母が彼をコントロールしようとしてしまうことなのかもしれない。
母が怒ることで息子のオンとオフのバランスを崩してしまったら・・・。
家でも本当の彼を表現することができなくなってしまったら・・・。
彼は、家に居場所を感じなくなってしまうかもしれない。
彼は、母に心を開くのをやめるかもしれない。
彼は、他のストレス発散方法を求め、間違った道に進むかもしれない。
こんな誰もがぶつかりそうな壁である小さな子育ての悩みを、ここまで大きく考えてしまう私自身も面白い・・・変わっているねと思う人は多いかもしれません。
小さいことイチイチ気にするなと、腹が立つ人もいるかな。
けど、塾のスタッフとして中学生の成長や葛藤を知っていく中で、こういう親との小さな日々の関わり方の積み重ねが大切で重要だということは身に染みて感じるようになった。
子育ては十人十色だから、人それぞれ悩みや課題は違うけれど、子育ては簡単じゃないことはきっと皆同じ。
正解がないのが子育て。
自分のことは自分が一番見えてないのが人間。
結果が出る頃には、親の元を巣立っていくときだろう。
いつか私が年老いたとき、もしこのブログを見返したら、その時の私はどう思うのかな~。
子育て日記になってきた、このブログ。
そろそろ、英語のことも書かないと(笑)
Comment
中川李枝子『子どもはみんな問題児』を読んでみてください。
子どもは子どもらしいのが一番です。
『賢い子』というフレーズは、子どもにとって、誉め言葉ではありません。
今のあたなにきっと役立ちます。
DWEさん
いつもアドバイスくださり、ありがとうございます!
本当にDWEさんのような方は私にとって貴重で大切な存在です。
本、読ませていただきます!
私もハッとしました。ありがとうございます。
そうですよね、私が見ている息子は、息子の一部分なんですよね…
私と離れて過ごしている時の息子は、人づてに聞くしかなく、実際に見ることはできないですもんね…
息子も、外ではかなり良い子です…
家の中だけなら、少しの事くらい大目に見てあげなきゃ息が詰まりますよね。
忘れないようにします^ – ^
えいまむさん
生まれたときから息子の全部を見てきたつもりだから、自分の知らない一面が存在するなんて、なんか寂しい気もしますよね(笑)でもこれが、成長の証ですよね!!!
我が子というようりも、1人の人間として、個性を大切に、尊重した関わり方ができるようにしていきたいと思った私でした(笑)